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農耕文化伝え36年、豊作願う「農はだて」歴史に幕(胆沢)

農耕文化伝え36年、豊作願う「農はだて」歴史に幕(胆沢)
継承されてきた庭田植行事を再現。多彩な催しを繰り広げて歴史に幕を下ろした「全日本農はだてのつどい」

 胆沢地域の冬のまつりとして1990(平成2)年から親しまれてきた「全日本農はだてのつどい」(いさわのまつり実行委員会主催)は、8日の開催で終了した。胆沢野球場北側駐車場特設会場で、豊作を願う庭田植行事の再現や厄年連のつがい踊りなど多彩な催しを展開。祭典のシンボルの大福俵が5年ぶりに登場し展示された。多くの市民らが見物に訪れた米どころ胆沢の一大祭典は、大きな盛り上がりの中で36年にわたる歴史の幕を閉じた。
 「農はだて」は正月の休みが明けて、農作業の準備を始める日。農耕文化の継承を願いながら同つどいを開催してきたが、まつりを支える人たちの高齢化などで大福俵といった資材類の修繕・確保が困難に。少雪の天候面に左右される状況や地元厄年連会員の減少傾向も踏まえピリオドを打った。
 強い寒波が同日にかけて降雪をもたらし、白く染まった第36回会場。胆沢の小学生による「縄ないチャンピオン決定戦」でスタートした。今年の農作業の安全と豊作祈願を行い、神主から聖なる火を受け取った関係者らが、かがり火を点火。燃え盛る炎が会場を照らした。
 苗に見立てた稲わらを手植えする「庭田植再現」(出演・愛宕庭田植の会)は呼び物の一つ。「田植唄」の伸びやかな歌声が響きわたる中、早乙女姿の女性たちが田んぼを模した5・4m四方の雪上にテンポよく植えていき、往時の風習を今に伝えた。
 展示された大福俵は長さ4m、直径2・5m、重さ8t。かつては厄年連会員がこの大福俵を雪上で引っ張るのがメイン行事だったが、20(令和2)年の第31回を最後にまつりに登場していなかった。この日は大福俵の制作に寄与した胆沢の小野寺延吉さん(93)が家族と共に訪れてまつりを見守っていた。
 郷土芸能披露(出演・行山流都鳥鹿踊保存会、金津流石関獅子躍保存会)、福餅つき(同・出店田植踊保存会)、福餅まき、福引大会、YОSAKОI披露(同・飛勇凛)をにぎやかに実施。夕闇が広がるにつれ、寒さが一段と厳しくなると会場の熱気はますます上昇した。厄年連は49、42、33、25歳の合わせて約150人が参加。厄年連引継式やつがい踊りなどが繰り広げられ、福餅まきも再び行われた。フィナーレを花火の打ち上げが飾り、澄んだ冬空に大輪が次々と輝いた。
 実行委の千田淳一会長は「まつりをこれまで支えていただいた全ての皆さんに感謝。大勢の方々が訪れ、盛り上げていただきながら無事に終えることができた。胆沢の大切な思い出として皆さんの心に刻まれたと思う」と話していた。