春に架ける白いアーチ 胆沢若柳・国道397号県境ルート 来月開通へ除雪作業
野球選手ではなく戦国武将のほう! 岩谷堂城址 「大谷桜」が満開(江刺)
「館山史跡公園」となっている江刺岩谷堂字館下の岩谷堂城(岩谷堂要害)跡で、「大谷桜」が満開となった。奥州市で「大谷」と言えば、大リーグ・ドジャースで活躍する水沢出身の大谷翔平選手を真っ先に思い浮かべるが、この桜の「大谷」は同城に縁がある戦国武将・大谷吉継(よしつぐ)(1565―1600)にあやかって命名されたものだ。
岩谷堂市街地西側の丘陵地に位置する同城跡。室町時代後期の1495(明応4)年、江刺重親(しげちか)によって築城された。
豊臣秀吉による奥州仕置(しおき)(1590年)、仕置後の統治に対する不満を機に発生した一揆を鎮定する奥州再仕置(1591年)を経て、胆沢・江刺両郡は伊達政宗の領地に。その際、岩谷堂城の普請(改修工事)の指揮を執るためこの地に入ったのが、秀吉に仕えていた吉継だった。
岩谷堂城址顕彰会の荻田耕造会長(86)=江刺南町=は「吉継が岩谷堂城にいたのは、半年程度ではないか」という。滞在中は、大手門の位置を城の北側から南側(現在の旧岩谷堂高校付近)に移設するなど、近世城郭へ改修した。岩谷堂滞在から9年後、吉継は難病を押して関ケ原の戦いに臨んだが、非業の最期を遂げている。
わずかな滞在期間ではあるが、岩谷堂と縁があった戦国武将にあやかろうと、同顕彰会は城跡内にある桜の大木の一つを「大谷桜」と命名。看板も掲げた。
荻田会長は「大谷翔平選手と直接的なつながりはないだろうが、同じ名字で奥州市にある桜なので『あれ?』と思う人もいるかもしれない。吉継と岩谷堂城との関係を知ってもらうきっかけとなれば」と話している。