TOPIC

私設「歴史探究館」代表・山田公一さん(盛岡) 新平関連資料を奥州市に2点寄贈

私設「歴史探究館」代表・山田公一さん(盛岡) 新平関連資料を奥州市に2点寄贈

私設「歴史探究館」代表・山田公一さん(盛岡)  新平関連資料を奥州市に2点寄贈
寄贈した後藤新平ゆかりの「東京都市計画地図」について語る山田公一代表(手前左)

 盛岡市の私設資料館「市民の歴史探究館」の山田公一代表は5日、同館で所蔵していた後藤新平関連の資料2点を市に寄贈した。同日、山田代表が市立後藤新平記念館(後藤康館長)を訪れ、資料を手渡した。資料は1921(大正10)年作成の「東京都市計画地図」と、23(同12)年ごろ作成の仁徳竈(にんとくかまど)に関する「芳名帳」。仁徳竈は当時の発明品で、炊飯用の釜のサイズを変えられる加熱器具と思われる。山田さんは「後藤に関わるものなので、後藤を研究するところで役立ててもらうのが一番いい」と安心した表情をみせていた。
 山田さんは、原敬の地盤を受け継いだ大正時代の衆院議員で盛岡市長なども歴任した大矢馬太郎(1870―1939)の孫。大矢や先祖が残した資料2万点余りを基に、同探究館を開設し地域史研究に寄与してきた。今回、同計画地図など2点を、資料活用の観点から寄贈することを決めた。


東京都市計画地図 現存確認数少なく貴重

 同計画地図は縦1m2cm、横78cmという大型カラー版の地図。関東大震災前から東京市長だった新平が率いた、技師や専門家による「都市研究会」で作成したもの。同記念館によると、現存が確認されていた同地図は、江戸東京博物館と都内の研究機関にある3枚のみ。このうち21年作成の図は、江戸東京博蔵だけという。これまで計画してきた幹線道路を朱線で、新しく計画した幹線を紫色の線で表示。現在の都心の幹線道路や高速道路と一致する部分が多く、2年後の関東大震災からの帝都復興策に反映されたことが分かる。山田さんは「大矢は衆院議員として在京していた際、都市研究会に参加しており、その時入手したものではないだろうか。同会メンバーからの手紙も所蔵している」と推測する。

仁徳竈芳名帳 新しいもの好き物語る

 芳名帳は、大矢が後ろ盾となっていた東京の柳館(やなぎだて)研究所が作成。同研究所が仁徳竈を発明した経緯や、新平、渋沢栄一の推薦文、支援者として大矢のほか盛岡出身の政治家・田子一民(たご・いちみん)らの署名もある。同記念館の中村淑子学芸調査員は「新平は新しい物が好きで、市民生活の向上にも関心があった。そうした一面を物語る貴重な資料。支援者や推薦文を記している著名人が、新平と交流があった人たちが多いのも興味深い」と説明する。
 同記念館の後藤館長は「今までほとんど知られてこなかった貴重な資料を寄贈いただき、本当にありがたい。地図にせよ、芳名帳にせよ新平の思いがよく分かるものなので、これからも大切にし活用していきたい」と話していた。