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水沢一高に在学した歌手・千昌夫さん、夢へ挑んだ当時語る

水沢一高に在学した歌手・千昌夫さん、夢へ挑んだ当時語る

水沢一高に在学した歌手・千昌夫さん、夢へ挑んだ当時語る
デビューを知らせる当時の本紙の写しを手にする千昌夫さん

 陸前高田市出身の演歌歌手・千昌夫さん(77)のデビューを知らせる記事が、59年前の胆江日日新聞に掲載されていた。22日、千さんは2年生まで在籍していた協和学院水沢第一高校(大内誠光校長、生徒403人)の関係者が企画したコンサート出演のため、奥州市文化会館(Zホール)に来館。記事に目を落とし、夢へ挑戦した当時を回想しながら、ゆかりの地・水沢への思いを語った。
(児玉直人)

母校創立記念控えたコンサートで“帰郷”

 今回のコンサートは、2026(令和8)年の同校創立100周年を盛り上げようと、同校元教職員らで組織する「水沢一高創立百周年を応援する会」が主催。本番前、千さんがインタビューに応じた。
 千さんは1962(昭和37)年、同校に入学。「当時は全校生徒が1600人以上もいて、教室の後ろまで席がぎっしりだった」
 1964年、2年生だった千さんは卒業する3年生を送る校内行事で、吹奏楽をバックに「高校三年生」を熱唱。これが人前で初めて歌った場面だったが、同級生たちは「良かったよ!」と絶賛した。
 その年の3月29日、歌手になる決意を固め同校を退学。上京して日本歌謡界を代表する作曲家、遠藤実氏に弟子入りした。「水沢駅で40人ぐらいの友人が、紙テープを手に見送ってくれた」と懐かしそうに振り返る。
 長い下積み生活が始まるかと思いきや、遠藤氏が独自にレコード会社を立ち上げるなど、いくつもの好条件が重なり、上京からわずか4カ月でデビューを果たした。「自分が一番びっくりしたよ」と千さん。
 デビューを知らせた1964年8月1日付の本紙記事は「阿部健太郎君(千さんの本名)が『明星スターパレード』に芸名“千昌夫”で出演、デビューする」などと報じている。
 「星影のワルツ」「津軽平野」「北国の春」など数々のヒット曲を連発。「『岩手には1000億円の千昌夫がいる』と言われていたんだけれど、今や岩手の1000億円は大谷翔平。私と同郷の佐々木朗希も後ろから追いかけて……」と、古里ネタで笑わす。
 「陸前高田でそのまま育っていたら、歌手になろうなんて思いは持たなかっただろう。親元を離れ水沢一高に来たから夢への挑戦ができたと思うし、歌手・千昌夫は生まれていなかった」と語り、ゆかりの地に感謝した。
 22日のコンサートでは、在校生によるダンスパフォーマンス、水沢を拠点に活躍する歌手によるステージもあり、千さんのショーに花を添えた。