戦時下の書類 見つかる(天文台水沢)
戦時下の書類 見つかる(天文台水沢)
国立天文台水沢VLBI観測所(本間希樹所長)の地下室などから、第2次世界大戦(太平洋戦争)中や終戦直後の書類が見つかった。VLBI観測所の前身・水沢緯度観測所の、旧日本海軍や連合国軍総司令部(GHQ)とのやりとりに関係した業務文書、手紙などをつづったもの。戦後80年の節目に合わせ、戦時中も休まず観測を続けてきたことを物語る当時の観測野帳(記録簿)とともに、観測所敷地内の木村栄記念館で部分公開している。
(児玉直人)
海軍機関受け入れ、空襲の日も観測休まず……(戦後80年 節目に公開)

書類のつづりは、同記念館の管理を担当しているVLBI観測所特定技術職員の蜂須賀一也さん(53)が、別件の資料調査中に見つけた。
海軍は日本独自の天体暦基礎計算を遂行させるため、1944(昭和19)年8月14日、緯度観測所内に水路部の水沢分室を設置。戦況悪化を受け、重要部署の人員を“疎開”させたとみられる。水路部は海軍の一組織。海図製作や海洋測量などに加え、天体観測を担当していた。当時、船や飛行機の位置、正確な日時などを把握するには、星の位置や動きを基に割り出す「天測」が用いられていた。
緯度観測所の記録本を読んで、水路部分室が設置された史実は知っていた蜂須賀さん。しかし、当時の実物資料を直接目にしたのは初めてだった。戦後80年に当たる今年、「戦時中の緯度観測所の様子を伝えられないか」と考え、さらに当時の資料を探したところ、本館に隣接する図書庫からGHQ関連の文書、海外での日食観測記録などのつづりが出てきた。蜂須賀さんは「歴史の重みを感じる資料で、手にしたときは驚いた」と振り返る。
これらの資料は、戦時中の緯度観測の観測野帳とともに木村栄記念館内に陳列。「緯度観測所と第二次大戦」のタイトルで10月ごろまで企画展を開催している。
水路部などの文書つづりには、履歴書など個人情報も数多く入っており、公開は表紙部分のみとしているが、観測野帳は内部も公開。1945年8月10日、水沢駅などに空襲があった日の観測データもある。この日の前日は長崎に原爆が投下され、釜石は2度目の艦砲射撃を受けた。国内が混乱に陥っている中でも、記録集積を途絶えさせまいと、観測を続けたことが垣間見られる。
木村栄記念館は奥州宇宙遊学館と同様、火曜日休館。今月9~11日には、蜂須賀さんによるボランティアガイドツアーが行われる。詳しくは宇宙遊学館(電話0197-24-2020)へ。