太平洋戦争下、データ亡失し“幻”に(インドネシア・ジャワ島のレンバン緯度観測所)
太平洋戦争下、データ亡失し“幻”に(インドネシア・ジャワ島のレンバン緯度観測所)
第2次世界大戦(太平洋戦争)末期、インドネシア・ジャワ島の町レンバンに、占領統治していた日本が緯度観測所を設置していた。水沢緯度観測所(現・国立天文台水沢VLBI観測所)からも職員3人が軍属派遣されていた。1年余りという開設期間の短さに加え、終戦直後の混乱で観測データは亡失。存在自体を知る人がほとんどいない状態で現在に至っている。木村栄記念館=VLBI観測所敷地内、火曜休館=で開催中の戦後80年企画展で、幻とも言える観測所の概要に触れている。
(児玉直人)
水沢からも職員派遣

同記念館の説明資料などでは、緯度観測専用の光学望遠鏡「眼視天頂儀(がんしてんちょうぎ)」が設置された観測所は、途中閉鎖した場所も含め12カ所あった――としている。ところがインドネシアのレンバンにも、緯度観測所があったという。首都ジャカルタから南東約120kmに位置する丘陵地帯の町だ。
インドネシアにはオランダ占領下時代の1931年に、バタビア(ジャカルタの旧地名)緯度観測所が開設され1940年まで観測していた。太平洋戦争が始まり1942年から日本占領下になると、バタビア観測所を復活させる構想が持ち上がる。日本から天文学者らが送り込まれ、水沢からも木村忠敬、切田正実、植前繁美の3氏が軍属の形で派遣された。
しかし建物の老朽化などを理由にバタビアでの再開を断念。レンバンにあるボスカ天文台の敷地を代替地とした。バタビアで使っていた眼視天頂儀を移設し、1944年7月に観測を開始。だが翌年8月15日に終戦を迎えた。
観測隊員は急いで望遠鏡や観測野帳などを箱詰め。状況が落ち着いてから回収できるよう、箱に英文で説明書きをして退去した。
水沢緯度観測所はその後、現地に置いてきた物品の状況を関係先に問い合わせたが「そんなものはない」との返答。インドネシア独立戦争などの混乱で、行方不明になった可能性が高いという。
昨秋、木村栄記念館の管理を担当しているVLBI観測所特定技術職員の蜂須賀一也さん(54)が、ネット上でレンバン緯度観測所に関する文献を偶然発見。戦後80年企画展を開催するきっかけになった。文献には観測記録を取り戻せなかった派遣隊員の無念さなどが記されていた。
VLBI観測所の本間希樹所長(53)は「戦争という負の状況下であっても、純粋に天文学への興味を抱き観測を続けていたのだろう。敵国であるアメリカの観測所からも水沢にデータが届いていた記録もある。敵と味方という立場を超え、観測を継続した姿勢は、今を生きる私たちも学ぶべきものがあり、大切にしていかなければいけない」と話している。