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二・二六事件から90年、倒れた重鎮の書建学100年の学びやに(水沢一高)

二・二六事件から90年、倒れた重鎮の書建学100年の学びやに(水沢一高)

二・二六事件から90年、倒れた重鎮の書建学100年の学びやに(水沢一高)
二・二六事件の凶弾に倒れた斎藤實の書(右)と、高橋是清の書(左)が掲げられている水沢第一高校理事長室

 1936(昭和11)年2月26日、国家改造や昭和維新を主張していた旧日本陸軍皇道派青年将校らが起こした「二・二六事件」で、凶弾に倒れた斎藤實=水沢出身=と高橋是清=東京出身=の書が、協和学院水沢第一高校(及川竜玄校長)の理事長室に掲げられている。事件発生から90年となる今年、斎藤と深い縁がある同校は建学100年の大きな節目を迎える。非業の最期を遂げた2人の書は、人としてあるべき姿や現在の同校校訓「清明心(せいめいしん)」に通じる思いを今に伝えている。
(児玉直人)

 海軍大将、第30代首相などを歴任した斎藤は、1926(大正15)年に郷里の有志38人が設立した私学を「清明女学校」と命名。しかし、第2次世界大戦中の非常措置令で女学校は廃校に追い込まれた。終戦翌年、地元の僧侶らが寺院を開放した塾として再開。1956(昭和31)年に学校法人協和学院が設立され「水沢女子高校」が開校、1960年から現校名となった。
 理事長室にある斎藤の巨大な書(縦252cm、幅119cm)は、1928年の春、女学校の卒業式に当たり揮毫したもの。中国古典『菜根譚』の一節を参考にしたとみられる。
 その要旨は「家族の誰かが過ちを犯しても、大声で怒ってはいけないし、見て見ぬふりをするのもよくない。注意するのが難しい場合は何かにたとえたり、時間を置いて別の機会に忠告するのがいい。春風が凍土を解かすように穏やかに接するのが、家庭の和を保つ秘訣」。書は女学校廃校の際に散逸し、何らかの経緯で長年にわたり水沢図書館で保管されていたが、2013年に同校へ返還された。
 一方、斎藤の書の真向かいに掲げられているのが、斎藤の親友であった高橋の書「神清智明(しんせいちみょう)」。揮毫時期や経緯などの詳細は不明だが、旧校舎があった頃から校内の一室に飾ってあったという。「心が清く、知識があり賢明なこと」を意味する4文字の中には、旧校名の「清明」が織り込まれている。理事長室にはこのほか、ロンドン海軍軍縮会議首席全権や第25代首相を歴任した若槻礼次郎の書「松操竹節(しょうそうちくせつ)」も掲げられている。
 協和学院の大内誠光理事長(57)は、先人らの書に思いをはせながら「建学100年の節目を新たなスタートと位置付け、地域に求められる学校をつくっていきたい」。及川校長(51)も「日本のため、本校発展の礎となった清明女学校のために力を尽くしてくれた先人たちの思いをくみ、次の100年に向けて役割を果たしていきたい」と話している。