終戦年、2年生だった水沢高女出身者へ――「水路部」の証言求む
終戦年、2年生だった水沢高女出身者へ――「水路部」の証言求む
水沢緯度観測所(現・国立天文台水沢VLBI観測所)の歴史研究に従事している、国際日本文化研究センターの馬場幸栄・特任准教授は、調査の一環として、1945(昭和20)年に水沢高等女学校(現・水沢高校)の2年生だった人たちの証言を求めている。第2次世界大戦(太平洋戦争)末期だった当時、生徒たちは旧日本海軍水路部が行っていた天体暦計算に動員されていたとみられる。馬場准教授は緯度観測所の歴史にも関係する出来事だと捉え、調査への協力を呼びかけている。
(児玉直人)
天文史研究、緯度観測所とも関係
1944年8月14日、緯度観測所に海軍水路部水沢分室が設置された。同部は海図作成のほか、天文観測も担当。星の位置から正確な日時、戦闘機や戦艦の現在地を割り出していた。この作業を容易に行うため、同部は『高度方位暦』という天体暦を発刊していた。
ただ、この天体暦を作るには膨大な計算を手作業でこなす必要がある。同部は都内の女学生を動員して対応していたが、空襲の激化を理由に地方へ機能を分散。その一つが緯度観測所だった。
水沢では地元女性を中心に10人が従事。しかし人手が足りず、45年3月1日に水沢高等女学校に分室を移転。生徒たちを動員して計算作業を継続した。分室は終戦と同時に解散した。
馬場准教授は、緯度観測所時代のガラス乾板写真の復元により、観測所と地域が歩んだ歴史を研究。膨大な写真資料の中には、水路部設置時に撮影したと思われる集合写真があった。関係先などに当たってみたが、軍事機密だったこともあって、水沢高校の60年史などにも関連する記載は見つからなかった。
わずかな手がかりは、当時女学校の1年生だった人による「2年生が音楽室で水路部の仕事をしていた。私たち1年生は農作業をしていたので詳細は分からない」という証言程度。このままでは水沢と天文台、海軍水路部が関係した事実が、詳細不明のままになってしまう恐れがあることから、情報提供を呼びかけている。
馬場准教授は、水沢の奥州宇宙遊学館で今月19日から22日まで開催する特別展示「写真とともに語り継ぐ戦時中の緯度観測所」を企画。水路部の情報提供は、20―22日に会場で受け付けるという。
展示に合わせ、20日午後2時からは、観測所と戦争にまつわる講演会を開催。21、22日は天文台未公開スペースを含む「ノスタルジックツアーガイド」も開かれる。詳細は同館(電話24・2020)、または同館ホームページへ。