TOPIC

ブラックホールの活動期捉える

木村栄博士とも縁、料亭丸松100周年

木村栄博士とも縁、料亭丸松100周年
かつて丸松に在籍していた芸者たち=松川玲子さん提供、撮影時期不明

奥州市水沢川原小路の料亭「丸松」は、今年7月14日で創業100周年を迎える。座敷で酒を酌み交わし、料理に舌鼓を打ち、芸者たちの舞を楽しむ――。忘れ去られようとしている古き良き時代の空間が今も残る。3代目亭主の伊藤博さん(68)と妹の松川玲子さん(62)は、料亭を支えてくれている地元関係者らを招待し、記念の宴席を6月26日と7月26日に開く。「たいこ持ち」や「幇間(ほうかん)」と呼ばれる男芸者として活躍する櫻川七好(さくらがわしちこう)さんを東京・浅草から招く。
(児玉直人)

今に残す 古き良き空間

博さんと玲子さんの祖父、松之助さんが1924(大正13)年、そば屋として創業。水沢緯度観測所(現・国立天文台水沢VLBI観測所)初代所長の木村栄(ひさし)博士は丸松のそばが好物で、よく出前を頼まれたという。
創業から数年で料亭に業態転換。建物の増改築を繰り返し現在の店構えに至る。大広間の舞台幕には今は無き水沢駅通りのデパートの名が記されているなど、昭和レトロの雰囲気が漂う。
日本舞踊五大流派「若柳(わかやぎ)流」の師範・若柳衣富美(きぬふみ)として活躍している玲子さん。物心がついた時から日舞、三味線、茶道、華道の稽古を一通り受けて育った。
かつて丸松には15人ぐらいの専属芸者がいた。「家業に忙しい両親に代わって小学校の運動会の応援に来てくれることもあったが、ゴール付近にずらりと芸者さんたちが-並んでいるのですごい光景だった」と、少し恥ずかしかった当時を振り返る。
そんな日々も時代とともに変化。畳の上で芸者が接客するようなスタイルは次第に失われていく。接待を巡るルールも厳しくなり、洋風のホテルや居酒屋などさまざまな形態の飲食店が増加。東日本大震災や新型コロナウイルスの影響も受けた。
何より大きなダメージだったのは、母ミシさん、博さんの妻恵子さんの他界だ。料亭にとって女将(おかみ)の存在は非常に重要。既に嫁いでいた玲子さんが、2人に代わって急きょ手伝いに出る日もあったが、子育てと日舞稽古の合間を縫ってのことで体力的負担は大きく、玲子さんの夫からも「無理するな」と止められた。
紆余(うよ)曲折を経ながらも、大正、昭和、平成、令和と歴史を刻んで来た家業。周囲からの助言も受け、国内に5人しかいない「たいこ持ち」の櫻川さんを招いた記念宴席を企画した。
「お話やお芝居、びょうぶを使った芸など、なかなか見ることができない。お世話になった方々に対する感謝の宴席だが、一般の方も若干だが受け付けたい」と玲子さん。開催日当日は、一日限りの女将を務めるといい、母ミシさんの着物、祖母ケサヨさんのかんざし、義姉恵子さんの帯揚げと帯留めを身に付けて臨む。「歴代の女将に見守られながら務めたい」と意気込む。
記念宴席に関する詳細は丸松(電話0197-23-4218)へ。