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さらば「アテルイⅡ」(国立天文台水沢で稼働スパコン、先月末に運用終える)
計算力と記憶力 今なお(大戦前後、緯度観測所に勤務した寺島倭子さん満100歳)
太平洋戦争前後の時代に緯度観測所(現・国立天文台水沢VLBIVLBI観測所)で計算係を務めていた寺島倭子(しずこ)さんがこのほど、満100歳の誕生日を迎えた。14歳で就職し観測結果の複雑な計算をこなしていたといい、優れた計算力と確かな記憶力は健在。入所する高齢者施設では、数独(計算パズル)や四文字熟語のクロスワードを解くのが日課だ。
父・善治さんが観測所の会計係だったこともあり、天文台は身近な存在。初代所長でZ項発見者の木村栄(ひさし)、2代目所長の川崎俊一、3代目所長の池田徹郎らとも幼少期から面識があった。
ところが、善治さんは倭子さんが7歳のころに他界。次第に家計を支える役目を担わなければならなくなり、水沢尋常高等小学校卒業後すぐに観測所の計算係として仕事を始めた。複雑な計算方法は、職員たちの間で「計算の神様」と称賛されていた飯坂タミ子さん(故人)から教わった。
当時はまだまだ男性中心の社会で、女性が働きに出たとしても、結婚を機に仕事を辞める「寿退社」が一般的だった。しかし、倭子さんは出産の2カ月前まで働き、後輩の女性職員たちに勇気と希望を与えた。1男3女を育て、現在は孫5人、ひ孫3人に恵まれている。
入所する有料老人ホームあおぞら(西宮美幸施設長)=水沢南大鐘=で4日、100歳を祝う会が開かれ、大槌町に住む長女の藤井暎子さん(76)、都内在住の二女・寺島知子さん(74)、三女・寺島陽子さん(71)らも駆け付けた。奥州市長寿社会課の吉田悦子課長から、市寄贈の記念品「岩谷堂箪笥小箪笥」が手渡された。陽子さんは、あいさつで「計算が速く、料理も上手。サボることもせず『今日やると決めたことは、今日中にやる』が口癖だった。一度楽をすると、それに慣れるからだと言っていた」と、自慢の母親を紹介した。
倭子さんは、海外にある観測施設の名称なども鮮明に覚えており、「観測所では運動会もあったし、アオダイショウのかば焼きも食べた」と当時の思い出を楽しそうに回想。「まだまだ青春の真っただ中でいたいので」と、100歳祝いのちゃんちゃんこの着用をあえて断る茶目っ気さも見せた。「これからも自助努力を重ね、一日一日を過ごしていきたい」と述べ、集まった入所者や施設職員に感謝していた。