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天文台水沢保存の臨時緯度観測所本館 日本天文遺産に認定
Z項発見 公表から120年(木村博士功績、地域の誇り 今なお)
旧水沢緯度観測所の初代所長を務めた木村栄博士(きむら・ひさし、1870-1943)が、地球の緯度変化を示す数式に用いられる「Z項」を発見し、論文として公表してから今年で120年。緯度観測所の歴史を引き継ぎ、ブラックホールなどの研究を推進している国立天文台水沢VLBI観測所の本間希樹所長(50)は学術的意義に加え、国際的科学プロジェクトにおいて日本が初めて示した成果という点でも重要だと強調している。
(児玉直人)
水沢から発信された“日本初”の国際的成果

1888年、国際(万国)測地学協会は、国際緯度観測事業(ILS=International Latitude Service)の実施を決定。当時、天文学や測地学の分野で最大の謎とされていた、地球の自転軸のふらつき(極運動)によって生じる緯度変化を詳細に調べるのが目的だった。北緯39度8分上に観測所を設置。日本で選ばれた場所が水沢だった。
1889年に観測が始まるが、しばらくしてドイツのILS中央局から「水沢の観測結果は誤差が大きい」と指摘を受ける。落第点を押し付けられたような形となった木村博士だったが、やがて全観測地点の緯度が季節によって大きくなったり、小さくなったりしていることに気付いた。
緯度変化を示す数式は「Δφ = x cosλ + y sinλ」とされていたが、そこに謎の緯度変化を示す値(項)を加え「Δφ = x cosλ + y sinλ + z」としたところ誤差が小さくなった。そればかりか、水沢の観測結果は他地点より精度が高いことも証明された。
木村博士は1902年1月6日付でZ項発見の論文を執筆。翌月、アメリカの天文学専門雑誌「アストロノミカルジャーナル(Astronomical Journal)」で発表された。同じ論文は後に、独専門誌でも取り上げられた。
ただ、論文を発表した時点では「Z」ではなく、未知数を表す際に用いるギリシャ文字14番目の「ξ(グザイ)」を当て、「φ - φ0 = ξ + x cosλ + y sin λ」としていた。
木村博士の功績を象徴するZ項は水沢地域の誇りに。「Z」の文字は市立水沢小学校や県立水沢工業高校の校章デザイン、市文化会館や市総合体育館、市営バスの愛称などに用いられている。
VLBI観測所の本間所長は「Z項は地球の内部が流体核(金属がとけた状態)であることに起因しており、その後の地球の内部の研究に道を開いた」と学術的な意義を説明。「明治期の日本が近代国家を目指す上で、国際的な科学プロジェクトにおいて初めて挙げた世界的な成果。現代に生きる私たちも、大先輩である木村博士に倣い、優れた研究成果を打ち出していきたい」と話している。