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連載【緯度観測所と地域の人々1】 趣味人・木村栄と謡曲

連載【緯度観測所と地域の人々1】 趣味人・木村栄と謡曲
初期の水沢宝生会。前列向かって右端が木村栄

 2015(平成27)年秋、お茶の水女子大学の馬場幸栄特任講師と国立天文台の石川利昭研究技師が、同天文台水沢VLBI観測所で500枚を超える緯度観測所時代のガラス乾板を発見。その後、日本学術振興会の科学研究費を活用し、ガラス乾板から当時の写真を復元するとともに、元所員や地域住民の協力によって被写体の特定を進めてきた。次第に詳細が明らかになってきた緯度観測所と地域の人々との交流の歴史を、馬場さんの解説と当時の資料と共にシリーズで紹介する。

 緯度観測所の初代所長・木村栄(きむら・ひさし)は1899(明治32)年から1941(昭和16)年まで42年にわたり水沢で観測を行い、緯度変化の研究に生涯をささげた科学者である。「Z項の発見」を成し遂げ、アジア人として初めて英国王立天文学会ゴールドメダルを授与された緯度変化研究の世界的権威としても知られる。
 一方、木村は多芸多才な趣味人であった。「勉強は精神集中で、できるだけ短時間にやる。そうしてなるべく遊ぶ時間をつくる」という主義だった木村は、スポーツや文化芸術を愛し、それらを通じて所員や地域の人々との交流を深めた。
 テニス、卓球、マージャンを水沢に広めたのは木村であると言われている。また、書道の腕前を生かして所員や市民のために多くの作品を揮毫した。
 多趣味な木村が特に情熱を傾けたのが謡曲であった。明治40年代前半に木村は駒形神社第11代宮司・當山亮道と共に「水沢宝生会」という宝生流謡曲の会を創設した。初期の会員には、伊藤徳次郎ら数名の観測所所員のほかに、高橋金治(水沢銀行専務取締役)、高橋悌三郎(私立水沢英語学会会長)、内田紹衛(胆沢郡医師会会長)、田代伸平(胆沢郡医師会理事)、佐藤順治(水沢町会議員)、佐藤酉蔵(呉服太物屋)ら地域の名士たちもいた。
 木村は、観測所の官舎で所員たちやその妻たちに、また胆沢郡立実科高等女学校(現・水沢高校)や清明女学校(現・水沢第一高校)で女学生たちにも謡曲を指導した。ときには瀬尾要などのプロを招いて指導してもらうこともあった。結果、水沢では老若男女問わず謡曲の愛好家が増え、石川亀章(水沢郵便局長)のようにプロ並みの技量を持つ人材も輩出された。木村が創設した水沢宝生会は今もなお、水沢最大の謡曲の会として活動を続けている。