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連載【緯度観測所と地域の人々2】交流の場「南画」発表会

連載【緯度観測所と地域の人々2】交流の場「南画」発表会
前列左から、後藤進、植松繁美、木村栄、古玉荊山(本名・啓三郎)、池田徹郎、切田正實。後列左から、大浪栄四郎、本明源吉

 緯度観測所の初代所長・木村栄は天文学の研究だけでなく文化芸術活動やスポーツにも情熱を注ぐ多芸多才な人だったが、彼は観測所の所員たちに対しても、芸術やスポーツに勤しむよう推奨した。
 そのため、所員たちは勤務時間外になると各々にグループを作って、謡曲・俳句・短歌・絵画・生け花・園芸・合唱・ダンス・スキー・登山等々を楽しんだ。このことは、所員たちが専門分野や職位に関係なく親しく交流するのに大いに役立ち、緯度観測所は一つの家族的雰囲気を持つ組織として成長していった。
 写真は、そうした緯度観測所所員たちが南画の発表会を開催したときの様子である。撮影時期は昭和5~8年ころで、会場は緯度観測所本館(現・奥州宇宙遊学館)2階である。前列中央には、洋装の木村栄と和装の古玉荊山(本名・啓三郎)が並んで座っている。
 古玉荊山はもともと水沢や山ノ目の小学校に勤務した教育者であったが、日高小路生まれの画人・佐藤耕雲(別号・天文台下山人、本名・常八)に師事して、画人や漢詩人としても活躍した人物でもある。緯度観測所の所員の一人、切田正實のアルバムに「■山門下生第一回作品発表展記念〔原文ママ〕」というキャプションがあることからも、緯度観測所の所員たちが水沢の画人・古玉荊山から手ほどきを受けていたことがうかがえる。
(馬場幸栄)

※文中■部分の漢字は、草かんむりに刺