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連載【緯度観測所と地域の人々 3】木村の肖像画と岩手の画人

連載【緯度観測所と地域の人々 3】木村の肖像画と岩手の画人
前列左から木村眞佐喜、木村栄、橋本八百二、大川英八、小泉一郎。後列左から山崎正光、吉田伊之吉、池田徹郎

 水沢の木村榮記念館には、緯度観測所初代所長・木村栄の肖像画が展示されている。還暦を迎えた木村の風貌と品格を見事に捉えたこの肖像画は、紫波出身の洋画家・橋本八百二によって描かれたものである。八百二は岩手県議として、また、さまざまな画風を作品ごとに巧みに使い分けた特異な才能の洋画家として有名である。そして、八百二の才能にいち早く気づき開花させたのが、もうひとりの岩手出身の画家、大川英八である。紫波の日詰小学校で美術を教えていた英八は、生徒の一人であった八百二の才能を見いだすと、卒業後も絵画を指導し、東京の美術学校への進学を後押しした。
 写真には、完成した2枚の肖像画を背景に、木村所長夫妻と3名の緯度観測所所員、橋本八百二と大川英八を含む2名の画家が記録されている。3人目は小泉一郎という洋画家だが、どのようないきさつで一緒に写ることになったのかは不明である。なお、左側の肖像画が木村榮記念館に展示されているものだが、右側の肖像画については所在が分かっていない。
 ところで、木村の肖像画は所員たちが還暦祝いとして木村に贈ったものだと言われている。木村が還暦を迎えたのは昭和5年だが、昭和7年4月に緯度観測所の所員となった飯坂タミ子の随想に「まだ私が給仕の身分だった頃、二階の貴賓室にお茶を運び、はじめて対面したお客様とは、いわて美術散歩でも紹介されている故橋本八百二画伯と、その恩師である故大川先生のお二人だったのです。きっと依頼を受け、モデルとしての木村博士と橋本画伯が向かい合って油絵の肖像画に絵筆をにぎり、傍らでは大川先生が熱心にそれを見守って居られた光景が、今でも蘇って参ります」(国立天文台水沢友の会編『想い出集 緯度観測開始100年を記念して』)とあることから、実際に完成したのは昭和7年以降と思われる。
(馬場幸栄)