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ブラックホールの活動期捉える
【寄稿】ILC誘致に見る岩手県と研究機関とのいびつな関係(千坂げんぽう=一関市萩荘、僧侶)
東北大学を「卓越大学」の候補に認定
文部科学省は9月1日、世界最高レベルの研究力の獲得・育成を目指す「国際卓越研究大学」に東北大学を候補とし、認定を目指すと発表した。来年に正式認定されると、政府が設立した10兆円規模の大学ファンド(基金)の運用益から支援を受けられることになる。卒業生の私としては誇らしく、喜びを感じる。
しかし、喜んでばかりもいられない現状がある。国は財政難から、大学の運営費交付金をこの20年間で1500億円も減らし、すぐに利益が上がる研究に振り向けた。安倍晋三内閣で顕著になった「出口志向」「川下の研究」と言われる、すぐ利益があがる研究への「選択と集中」である。
この政策を進めるため、国は科学技術予算を内閣府に付けさせる「総合科学技術・イノベーション会議」を2001年に立ち上げた。内閣総理大臣のリーダーシップの下、一段高い立場から科学技術政策の企画立案や総合調整を行うなど、重要政策に関する会議の一つと位置付けている。大型研究開発プロジェクトを立ち上げ、公募して研究を選んだりしたが、ことごく成果を見ないで終わっている。そもそも会議では、経済界の意見を尊重する委員を選定しているのだから、基礎的な研究が選定されることもなかった。
今回の卓越大学も、国の「選択と集中」政策の延長線上に生まれた構想である。その背景には、優秀と見なされる論文の数が2018~2020年の平均で日本が過去最低の12位と没落したことにある。さすがに国も日本が科学技術面で一流国と言えなくなった現状をまずいと考えたのであろう。
しかし卓越大学に助成するファンドは、国が作った「科学技術振興機構」の運用利益による仕組みである。今まで国が各分野で行ったファンドによる政策では、国産有機ELパネル製造「JOLED(ジェイオーレッド)の経営破綻」をはじめ「クールジャパン」、農業関係、半導体などで赤字を出して解散したなど、失敗も多い。そのうえ今回の卓越大学では、「経済社会に変化をもたらす研究成果の活用」とのうたい文句もあることから、基礎的研究ではなく、どうしても出口志向の研究に重きを置くことになる。
東北大学では今年、任期付き雇用の研究者や職員数百人の雇止めを行ったことが問題になっている。卓越大学は研究者の育成を目的としているが、今でも任期付き雇用が多い若手研究者の育成のことは、置き去りにされるのではないだろうか。
「卓越大学」構想は基礎的分野の科学研究を軽視する流れの上にある。岩手県や一関市、奥州市が、素粒子物理学者らと誘致しようとしている国際リニアコライダー(ILC)も無縁ではなく、こうした根本的な流れを変えない限り、そもそも実現などあり得ないのだ。
中国に対する危機感を一部の研究者が利用するILC誘致運動
基礎的分野の研究に金を出したくない国の政策により、大型科学研究費が付きにくい状況は1960年代から一貫しており、その研究費はせいぜい1件当たり50億円から300億円である。それも数年にわたる支給となる。
今回、東北大学が「卓越大学」認定候補になったのは、青葉山新キャンパスに設置される次世代放射光施設「ナノテラス」の存在が大きい。この設置が決まるまでには、産業界と仙台市から100億円以上の資金を集めることが要請された。300億円強の研究施設でさえ、国は単独支出を渋るのである。
これをILCに当てはめると、予想される国の負担のうち、最低でも1割は地元負担とするであろう。ILC本体価格は8000億円と言われているが、国際協力事業なので国際入札での円安の影響と物価高も加味すると、最終的には1兆5000億円という規模も考えられる。その半分の7500億円をホスト国が持つとして、750億円は地元負担とするであろう。
さらには県道、橋梁、トンネルなどの改良工事も地元負担が要請されるが、岩手県の財力ではできない。まして欧米各国は資金を出さないと明言している。このことからも国がILC誘致に乗り出すことはあり得ない。にもかかわらず、高エネルギー加速器研究機構(KEK)や国内素粒子研究者たちは、いかにも世界的協力体制が整ったかのように語っている。
2026年に政府間合意、2030年ごろにトンネル工事着手などの“予定”を示している。この“予定”は、10年前にも見たことがある。中国の次世代型巨大円形加速器「CEPC(円形電子・陽電子衝突型加速器)計画」が明らかになった時で、中国に負けるなという危機意識をあおり、誘致実現に結びつける意図も見えた。研究者たちは今回も「中国がCEPC計画を明確にしてくる」かのような話をして、危機意識の醸成を図る可能性がある。
しかし、CEPC計画に対する危機意識をあおったところで、ILC誘致に国が動くことはないだろう。北朝鮮の弾道ミサイル発射のたびに全国瞬時警報システム(Jアラート)を鳴らし、「敵基地反撃能力を持つミサイルが必要」と突出した防衛予算を付けるのに成功したのとわけが違う。
科学リテラシーを持とう
現在、日本と欧米各国は財政難で、基礎的研究の実験施設であるILCに予算を付ける余裕はない。
米国では1980年代に計画された素粒子加速器「SSC(超電導超大型加速器)」が、あまりにも経費がかかり過ぎ、建設開始後に中止に追いやられた過去がある。高エネルギー天体物理学などを専門とする戸谷友則氏は著書『宇宙の「果て」になにがあるのか』(2018年8月、講談社)で、SSCを引き合いに出し「あまりにも巨大化した加速器による素粒子研究が、人類の限界に突き当たったと言える」と警告を発している。
今年6月の東北ILC推進協議会が主催した講演会では、昨年に続き講師を務めた東京大学の横山広美教授(科学技術社会論)が、社会的観点からも巨大プロジェクトの推進は、決して容易ではない旨を話している。日本の科学全体が発展してほしい時に、ILCのような巨大プロジェクト単体に多大な経費をかけるのではなく、多くの分野に配分したほうが良いことは明らかである。
また、20kmのトンネルで実験を始めようとしている現計画では、巨費を投じる意義と価値は失われている。現計画はヒッグス粒子のクリーンな捕捉を目的にしているというが、すでに欧州原子核機構(CERN(セルン))でヒッグス粒子の存在がほぼ確認されている。次に課題になるのは、宇宙の23%を占めるとされる暗黒物質(ダークマター)に関する新粒子の発見である。ところがILCでこの新粒子を発見するには、50km以上のトンネルが必要と考えられる。このことから、ILC誘致によって20kmのトンネルが建設されたとしたら、なし崩し的に50kmまでの延長を言い出すことになるだろう。
つまり、巨大な経費に見合う新粒子発見が期待できない“20km ILC”は、それを誘致する理由をほとんど失っている。しかしながら、いきなり“50km ILC”の誘致を言い出せば実現が遠のくというジレンマを抱えているのだ。
宇宙誕生の謎を解明するための研究は現在、加速器による新粒子発見だけではなく、重力波検出など多方面にわたっている。2015年、米国の重力波検出器「LIGO(ライゴ)」が、太陽質量の30倍もあるブラックホール二つが合体した際に生じる重力波を検出した。日本でも岐阜県にある「スーパーカミオカンデ」で、重力波を捉えようと計画しているが、この施設の建設費は100億円台だった。
私は文系の研究者で、物理は高校で学んだだけだが、ILC誘致推進者でもある素粒子物理学者の村山斉氏らの著書を読んで、少しでも科学研究の現在を知ろうと努めてきた。間もなく80歳を迎えようとする高齢者だが、一部の研究者や誘致団体による都合のよい主張をうのみにしない力を持てたと思う。
誘致関係者の好都合な話と、それを一方的に伝えている一部報道の情報のみを受け止めるのではなく、多くの県民の皆さんには科学リテラシー(読み解く力)を身につけてほしいと願っている。
県立大学は素粒子物理学者の雇用の場ではない
岩手県は巨大プロジェクト誘致のため、素粒子物理学者らを県立大学の重要ポストに置いている。誘致を推進する研究者にとって、俗にいう「おいしい存在」になってはいないだろうか。
理工学部がない県立大に彼らを雇い続けるのは、奇妙と言わざるを得ない。私は、もはや巨大プロジェクト誘致は全く見込みがない状況だと思っている。彼らを雇い続けることは、本県の税金を無駄に使っていることにならないか。県は速やかに改めるべきである。
2004年から始まった大学への運営費交付金減額政策により、大学では講座を維持するために研究機関などに属する研究員を研究所と兼任できる特任教授とし、あるいは定年退職した教授を特任教授として雇い入れている。若手研究者は5年の任期付きとして雇用されるなど、落ち着いて研究ができる環境が大学から失われつつある。
このように、大学で専任教授職に就くことは大変厳しいのだ。ILC関係者の雇用にとどまらず、10月8日付の河北新報では、県立大理事長に就任した副知事経験者の報酬アップを巡り波紋を呼んでいると報じている。この件も含め、県立大運営に対する県の姿勢が、大きく問われていると感じる。
ILC誘致は、はかない夢に過ぎない
一部の研究者は、世界の素粒子研究者たちに向け、北上山地にILC誘致が可能であるかのような言動を繰り返している。経済人や文化人らを寄せ集めた「ILC100人委員会」を結成させるなど、通常の大型科学技術施設を決めるシステム以外の方法で、実現を勝ち取ろうとしている。
しかしそのやり方は、できもしない「地震予知」をできるかのような振る舞い、毎年100億円以上の関連予算を獲得している地震予知研究者の姿と二重写しに見える。
東日本大震災など度重なる大地震を受け、地震予知はできないことが明確となっている。以前から地震予知はできないと主張している元東京大学教授のロバート・グラー博士は、著書『日本人は知らない「地震予知」の正体』(2011年8月、双葉社)の中で次のように述べている。
「残念ながら地震予知はかなわぬ夢だ。地震予知というはかない幻影に、これ以上希望を託すのはやめようではないか。東日本大震災を経験した日本人は、今こそ現実に目を向けなければならない」
ロバート博士の言う、はかない夢「地震予知」は、はかない夢「ILC誘致」と読みかえることができる。もはやILC誘致は、はかない夢に過ぎないのだ。
国際科学都市ができるという「はかない夢」を子どもたちに教えるべきでない
日本における科学技術予算の貧弱さは、データ科学における人材不足も招いている。そのため海外から人材を求めようとすると、世界的な人材獲得競争に巻き込まれる。医療データ分野で海外の人材を求めようとした東京医科歯科大学の宮野悟特任教授は、月刊誌『選択』の本年8月号で次のように述べていた。
「この間、海外の女性研究者4人に招聘を打診したが年俸1500万円では、『ワーキングプア(働く貧困者)』だと、けんもほろろに断られた。最近の円安はかなりの痛手だ」
日本の国力の低下をまざまざと思い知らされる。
誘致関係者らは、ILCが稼働した当初は20人レベルの研究者で始まるが、本格稼働すれば100人以上の科学者が集まり国際科学都市ができるとアピールする。過疎が進む一関市、奥州市の中山間地の人々に、はかない夢をまき散らしている。同じことを出前授業などで子どもたちにも吹聴しているのは誠に許し難い。
ILC計画について検討した日本学術会議の所見回答(報告書)でも、オンラインなどを活用するリモート勤務の時代なので、たとえILCができたとしても科学者が施設の近くに住む必要がないと指摘している。国際科学都市ができないことはもちろん、ILC誘致自体が絶望的だと思う。子どもたちに虚偽的ではかない夢を教え込む出前授業は、私は罪深い取り組みだと感じる。
科学技術に関する人材確保の面では、中国が抜きんでていることを知るべきである。2019年に開催された全国人民代表大会(全人代)の記者会見で、科学技術相は「基礎研究は科学技術革新の源であり、十分に重視する必要がある」と強調した。そのような中国の政策でできた一つが2016年、貴州省に設置された直径500mの世界最大の開口球面電波望遠鏡「天眼」である。
このように先端科学に挑み費用を惜しまない中国の政策は、海外ハイレベル人材招致計画(通称・千人計画)に示されている。この対象に選ばれたのが、宇宙核物理で世界的な成果を挙げている国立天文台の梶野敏貴特任教授だ。2016年10月、北京航空航天大学に新設の「ビッグバン宇宙論・元素起源国際研究センター」の初代所長に就任し、翌年には北京航空航天大学の特別教授として招かれた。
梶野氏は日本の教授職と兼務できる中国の研究環境を高く評価している。すぐに人を集められ予算も潤沢。日本より研究がやりやすい。政治体制から受ける印象とは違い、研究者は自由に世界を行き来しており、中国の勢いや可能性を感じるという。毎日新聞の取材に、そのような趣旨の話をしている。
このような基礎科学への向き合い方を考えるならば、世界的水準の給料を出すことができない日本に100人以上の科学者を招聘するなどというILC計画は、はなかい夢に過ぎないことが分かる。
いくら素粒子物理学の先端研究に没頭する専門家であっても、研究者を巡る待遇の日本と他国との違いを知らないわけがない。その上で「国際科学都市ができる」と語るというのは、「岩手県民の大部分は、このような事実を知るはずもなく、こちらの話をそのまま信じるだろう」と、高をくくっているようにさえ感じる。
私たち岩手県人は、いつまでも惑わされ続けてはいけないのではないか。ロバート博士が地震予知で語った「東日本大震災を経験した日本人は、今こそ現実に目を向けなければならない」という言葉そのまま引用するなら、「ILC誘致は実現しないという現実に目を向けなければならない」と言いたい。
先日、国立天文台水沢VLBI観測所が他国の天文台と協力し合い、ブラックホール研究に関する最新成果を発表した。世界的に注目を集める快挙を打ち出している水沢の観測所でさえ、働く身分が不安定な研究者がいるという問題も存在している。
人件費も含め、県が行う毎年約3億円以上にものぼるILC誘致の関連予算。その支出をもっと有効な形に活用できるよう努めるべきではないか。
※千坂氏の名前の漢字表記は、「げん」は山へんに「諺」のつくり、「ぽう」は峰