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天文台水沢保存の臨時緯度観測所本館 日本天文遺産に認定

緯度観測を支えた人や道具「歴史に誇りを」(研究者が講演)

緯度観測を支えた人や道具「歴史に誇りを」(研究者が講演)
講演会後、手回し計算器の操作を体験する聴講者

 緯度観測所(現・国立天文台水沢VLBI観測所)で使用されていた「手回し計算器」にまつわる講演会が22日、水沢星ガ丘町の奥州宇宙遊学館(亀谷收館長)で開かれた。講師を務めた国際日本文化研究センター特任准教授の馬場幸栄さんは、「観測を陰ながら支えた地元出身の人、当時最新の道具があって今のVLBI観測所に至っている。地域の皆さんはその歴史を誇りに思ってほしい」と呼びかけた。
 馬場さんは毎年この時期、長年取り組んでいる緯度観測所の歴史と人物関係に関する研究成果を遊学館で発表している。今回は、電卓やパソコンがなかった時代に、複雑な観測データの処理に用いていた「手回し計算器」にスポットを当てた。今月日から同日まで計算器の実物を特別展示し、最終日に講演会も開いた。
 世界の観測所から送られてくる膨大なデータを処理するため、1923(大正12)年ごろから地元の優秀な若い女性たちを採用。同じ時期に開発された国産の手回し計算器「タイガー計算器」を使って、計算業務の効率化を図った。緯度観測所職員の4割が女性で、その大半が計算係として活躍したという。
 昭和40年代に大型電子計算機が導入されてからも、一部の女性職員は引き続き計算業務に従事。このうち水沢出身の佐藤イクさん(93)は、国立天文台に改組後も仕事を続け、最終的には同天文台初の女性助教授として活躍したとのエピソードも紹介した。
 馬場さんは「現在、天文台の敷地ではスーパーコンピューター『アテルイⅢ』が稼働中だが、ここまで発展してきた背景には、陰ながら研究を支えてきた、大勢の計算係と道具の存在があったという歴史を忘れてはいけない。地元出身の若者たちが粉骨砕身して従事し続けたからこそ、こんにちの天文台の姿に至っている。地域の皆さんも誇りに思ってほしい」と呼びかけた。