太平洋戦争下、データ亡失し“幻”に(インドネシア・ジャワ島のレンバン緯度観測所)
【寄稿】地域づくりには何が必要か?(千坂げんぽう=一関市萩荘、僧侶=)
私は岩手県が中心となり誘致運動を進めてきた素粒子実験施設「国際リニアコライダー(ILC)」に反対し、胆江日日新聞に4度寄稿している。
この巨大プロジェクト構想に反対する理由は、トリチウムなどの放射性物質による汚染や環境破壊に対する懸念だけではない。外発型開発の失敗があるからだ。例えば青森県下北地域で1970年代にあった石油関連工業地計画、リゾート法による各地での開発失敗などを今まで何度も見てきた。ことごとく地域の人々に恩恵を与えず、マイナスの結果しかもたらさなかった歴史に学ぼうとしない岩手県や奥州市、一関市の姿勢を問題にしているからでもある。ゆえに「地域づくりは内発的であるべきだ」と私は考えている。
ILCの日本誘致は、ホスト国の日本が資金の大半を担うとされており、欧米各国と共同で行う国際プロジェクトなので、その計画実行のためには日本と欧米各国の一致した同意と共同体制が確立していなければならない。
国は2016年に「ひと、まち、しごと創生総合戦略」を作り、地域創生の実践でEBPM(証拠にもとづく政策立案)を重視している。この姿勢によれば、岩手県は日本政府と欧米各国のILCに対する意欲、資金問題に関する動向、将来展望などを正しく見据え、県民に説明しなければならないはずだ。民主主義国家なれば、明確なアカウンタビリティー(説明責任)が求められるのは必然である。
それなのに、ILC実現の見込みがない状況でありながら誘致運動に多額のお金を費やし、私たちのような反対意見を無視し続けているのはなぜなのか。この巨大プロジェクトがイノベーション(技術革新)を引き起こし「岩手県の活性化につながる――」とする岩手県の論調は、果たして正しいのだろうか。そして本当に県民のためになるのだろうか。
イノベーション期待の危うさ
イノベーションの先進地・米国では、「イノベーションの恩恵が一部の人々に集中し、収奪世界に向かっている」とされる。トランプ政権はその流れを助長しているようだ。
2024年のノーベル経済学賞に選ばれたダロン・アセモグルとジェームズ・A・ロビンソンによる『国家はなぜ衰退するのか』(2013年、早川書店)は、収奪的な社会制度の国は衰退し、包摂的な社会制度の国は繁栄することを知らしめた。
彼らの説を受け経済学者の河野龍太郎氏は、自著『日本経済の死角――収奪的システムを解き明かす』(2025年2月10日、ちくま新書)で、次のような趣旨の考えを述べている。
「日本では、イノベーションが成長の鍵であると考える人が少なくありませんが、アセモグルとサイモン・ジョンソン(2024年ノーベル経済学賞受賞者)は、最近の論考で『イノベーションの本質は収奪的であり、その方向性を包摂的なものに変えていかなければ、一部の人々に恩恵が集中し、多くの人を苦しめる』と警鐘を鳴らしています。全くの同感です」
包摂的(インクルーシブ)とは、全ての階層、全ての意見を包み込むことであり、多様性の重視という最も民主主義的なあり方だ。最近高まっている排外主義、国粋主義的な主張とは反対概念とも言える。
ILCのような巨大事業を行うなら、県民全ての意見や知見を取り入れるべきであろう。それなのにイノベーションの名の下に、一部の素粒子研究者の意見だけを取り入れて、不都合な他の意見を真剣に聞き入れようとしない思いがあるとしたら、問題ではないか。
ILC地域活性化における中核と位置付ける岩手県の方針に、奥州市や一関市などは唯々諾々(いいだくだく)と忠実に従い、反対や疑問の考えを持つ市民を“非国民的なもの”と見なしてはいないだろうか。県によるパターナリズム(父親的温情主義)的姿勢を各市は受け入れてきたように思う。そして奥州市と一関市は、県と同様、ILC誘致推進を進める素粒子研究者の科学的専門知を「正しい」と絶対視してはいないだろうか。
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そんな姿勢を感じさせる一例がある。一関市が進めようとしている一ノ関駅東口の旧NEC跡地再開発のために立ち上げた「一ノ関東口イノベーション構想検討委員会」のあり方だ。二つの疑問点を挙げる。
第1に、「イノベーション構想」というカタカナ語を使い、一般市民には曖昧かつ望ましいイメージを打ち出そうとしていることに対してだ。
オーストリア生まれの経済学者、ヨーゼフ・シュンペーター(1883-1950)が用いた「イノベーション」は、価値の創出方法を変革してその領域に革命をもたらすことを意味した。だが『広辞苑』では「わが国では技術革新という狭い意味に用いる」としているように、一般的には「新しくすてきな技術革新」くらいのとらえ方がされている。
しかし、科学系の大学がなく一関工業高等専門学校しかない一関市において、革命的な技術革新による産業ができるのだろうか。それともわざわざ外から何かを招くのか――という疑問が起きてくる。
第2に、一関市が素粒子研究者を同検討委員会の委員に1人、同工場跡地への企業誘致などに関した指導・助言を行う参与(プロジェクト担当)に2人選んだ意図は何か――という疑問である。
新幹線駅の東口という立地は、人々が集まりやすい好条件を備えている。その条件を生かすためには、駅近くを流れる吸川(すいかわ)と、新幹線および東北本線で東西往来の流れが遮断させられている問題を解消しなくてはならない。人々が自由に行き来し、活性化した駅前にしなければならないのだ。
そのためには都市工学、流通経済学、社会学、社会科学、人文科学などの専門知を持つ研究者を委員、参与にする必要があると考える。
物理学者の湯川秀樹(1907-1981)のように、漢文などの分野で素晴らしい知見を持った、まれな人も確かにいた。だが一関市が選んだ3人にも、都市工学などの専門家たちと引けを取らない知識があるという、客観的な確証や実績はあるのだろうか。
この3人の素粒子研究者たちはILC誘致推進派で、岩手の誘致関係者にもよくその名が知られており、一関市の公式文書にも氏名が公表されている。私は何らかの意図、利害関係が隠されてはいないかと思うのである。皆さんはどう感じるだろう。
イノベーションを強調する狙いとは
岩手県、奥州市、一関市は、ILC誘致を諦めていない。だが、誘致推進運動の中心となってきた岩手県立大学長の鈴木厚人氏は、今年3月中に日本政府の意思表示がなかった場合について「『ILCは欧州』。これが一番の可能性だ」と述べている(胆江日日新聞、2025年2月17日付)。
このように「○○年中に政府が決めないとダメになる」との言い方は、過去に何度もしている。“おおかみ少年的”な振る舞いであるが、確かに現在は今まで以上に絶望的状況と思われる。
こうした状況を受けてか、素粒子物理学者の中には「ILC以外にも活路を見いだそう」と考えている動きがあるようだ。それがラジオアイソトープ(放射性同位元素、RI)による医療品製造工場である。
原子力委員会は2022年5月31日に「医療用RI製造・利用促進アクションプラン」を決定。国も医療用RIの国産化に向けた取り組みを盛り込んだ戦略を閣議決定している。
こうした動向を踏まえ昨年6月、RIの製造・利用促進を目的とする会社が誕生している。この会社の代表取締役というのが、前述した一関市のプロジェクト担当参与を務めている素粒子物研究者である。会社のホームページと、一関市が昨年7月1日付で公表した参与委嘱の文書に記された氏名が一致する。
ILC誘致運動に熱心な地方自治体との関係の深さを象徴している――と感じるのは私だけだろうか。いろいろな動きのタイミングを踏まえると、“手際の良さ”に感嘆するばかりである。
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難解な専門用語を使う形になることをご容赦願い、この医療用RIのことについて触れてみたい。
従来のβ(ベータ)線、γ(ガンマ)線を使った放射線医療品と異なり、今回触れた会社が製造しようとしているのは、α(アルファ)線放出医薬品のようである。従来は研究用原子炉で製造していたが、技術の進歩により小型の加速器で「ラジウム226」から「アクチニウム225」を作ることができるようになった。その生成過程で多種の放射性核種が出てくる。
このように、前立腺末期がんなどに使うとされるα線放出医療品を作る新しい製造過程は、確かにヨーゼフ・シュンペーターが言う意味の「イノベーション」に当たるかもしれない。
しかし、イノベーションと目される科学は素粒子物理学だけではない。情報科学、生命科学、農学生命科学など、より人間生活に密接に関係した分野でイノベーションを引き起こしている例が多いと思う。
それなのに原子力や加速器などに関係した研究者だけを「イノベーションを担う人たち」のように本県の自治体が扱っていることに、私は違和感を覚える。
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原子力発電所を拒否してきた私たち岩手県民は、たとえイノベーションを名乗る新しい形であれ、放射線によって汚染された物質を出す施設を岩手県に設置することを許さない。これまで述べてきた流れを踏まえ、もし多くの人々が利用する駅前に医療用RIという名の関連施設を造るというのであれば、なおさら反対である。
岩手県には原子力発電所がない。それは無医村だった田野畑村で開拓保健師として奮闘した岩見ヒサさんが、今から40年以上前、田野畑村明戸浜に原子力発電所ができる計画に反対。清らかな空と海、そして命を守る運動を繰り広げ、その結果、計画を止めさせたおかげなのである。
このような先人の活動に感謝し、私たちは目先の利益にとらわれず、住民本位の政策が行われるように努めるべきではないか。
内発的地域づくりとは
私は、仙台市から一関市の実家の寺に戻った年前から地域づくりの運動を行ってきた。その一つが岩手大学の平山健一元学長の呼びかけにより、北上川流域で活躍している多くの仲間が集まり設立した「北上川流域連携交流会」である。その活動を通じ、歴史と自然を生かすことがこの地域にとって活性化にもっとも有効であることを確信した。
そこで31年前、一ノ関駅から車で15分の場所にある放棄林を買い求め、整備を始めた。やぶを切りひらくとニッコウキスゲ群落が再生した。この成果を受け、豊かな自然があれば首都圏から人を呼べると考え、一関市萩荘地内の里山を購入。僧侶の立場を活用して寺院・知勝院を開山し、自然公園型の樹木葬という日本初の葬送方法を実現した。
その後、自然を生かすためには景観だけではなく、生物多様性も大事であると知った。東京大学大学院の鷲谷いづみ教授(当時)の勧めにより、自然再生自然法という法律に基づく「久保川イーハトーブ自然再生協議会」を研究者、市民活動団体と協力して立ち上げ、自然再生事業に取り組んできた。
その活動の結果、久保川上流域約10kmは「久保川イーハトーブ世界」と国に認められた地域になり、国の「重要里地里山」に認定された。また、2023年度から始まったOECMという制度による新しい自然保護区「自然共生サイト」に、久保川イーハトーブ世界内の知勝院所有地が認定された。
これらの成果は、多くの研究者が一関に訪れ、久保川イーハトーブ世界の調査研究を進めた結果である。おかげで昨年3月現在、この地域には維管束植物828種、チョウ類84種、水生昆虫70種、バッタ目58種、淡水魚類22種などが確認されている。
2007年から17年かけ、民間だけの力でこれだけの調査をしたことに対し、生物学や生態系に関係する研究者から多大なお褒めの言葉をいただいている。
このような生態系の豊かさと生物多様性の高さは、人々の里地里山への関心を呼び、現在までに樹木葬墓地の契約者は、富山県と熊本県を除く45都道府県から2500人以上の契約者を得るという実績をもたらした。そして1年間に当地を訪れる人は5000人を超えるまでになっている。
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北海道大学の上田裕文准教授が約10年前、樹木葬墓地の契約者を対象にアンケートした結果を基に経済効果を算出したところ、約1.1億円だった。
行政などが行うイベントに比べれば控えめな数字だが、一関市や奥州市には私たちの地区と同様の可能性を秘めた自然がある。同じような効果を生み出す可能性は大きいと思う。
奥州市内でも移住者が無農薬有機栽培の稲作などを実践している例がある。したがって自然再生を地道に行えば、時間はかかるものの必ずや奥州市、一関市で自然を生かした活性化への道はひらけてくると思われる。
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行政の首長は、ともすれば長い時間がかかる地域の自然を生かすような活動には冷淡で、目先の利益優先に走りやすい。岩手県、奥州市、一関市は10年以上もILC誘致運動に時間と税金を費やしてきた。ポテンシャル(可能性)が高い、自然を生かすことにもっと注力してほしいと思う。
ILCのような外発型開発は、たとえ誘致が実現したとしても数十年後は役割を終え、荒廃した地域を残すだけだと私は考える。それよりも地域の自然を生かした内発型の持続可能性が高い活動に行政はもっと目を向けるべきなのである。